昭和57年9月13日朝のご理解
                             入力者大坪寿子
ご理解第89節
此方の道は傘一本で開くことができる。

教組の神様は、えー、「此の方は人が助かる事さえ出来れば」と、仰せられたということです。これは、えー、教組さも自信が助かっておられて、初めて言えることではないでしょうかねー。自分が助からずして、人が助かると言うことはない。自分が助かると言う事。御道の信心を頂いて、ほんとに、えー、おかげを頂く。まずは心が救われ、助かる。それにとものうて、えー、あっ、幸せの条件が色々たろうてくるようにな、おかげを、先ずは、私どもが頂かなければならん。そしてこういう有難い御道を、人にも伝え、人にも聞いてもろうて、ね、私の心の状態のような人がこの世の中にいっぱい増えていったら、世の中はいよいよ、平和になることだろう、と、そこから人が助かる事さえ出来ればの精神が、えー、ほんとなものにになってくると思うですね。えー、ね、神様の願いと言う物はそこにあるのじゃないか。氏子一人一人が信心しておかげを受けてくれよとおっしゃるのは、一人一人が信心によって、先ず助かる事だ。そしてその助かりを、ね、自分が、この世の中にでも、このような、
まー、昨日は、あのー、美登里会でございましたが、ある方が発表されてしておられましたが、話を聞いていて、なんというむちゃくちゃな、あー、嫁やろうか、孫じゃろうかと。嫁と、おー、おばあちゃんとの間の、あー、会話を話しておられました。けれどもその、おばあちゃんは言っておられます。私のような幸せなものがあるだろうかと。そういうときに自分の心の中に、ふつうから、横から聞きよっても腹の立つような感じなんだけれども、ねー、もうほんとに、自分のような幸せなものがあるだろうかと。これはほんとなことが分かり、ねー。ね、信心の助かりを頂きつつあるのです。
昨日は、宮崎、高鍋の、あー、堀尾先生が、今日、先日からお参りなって、今日の13日会を頂いて帰るて。て昨日お参りしてみえて、あのー、お供えに、まー、こんな大きな、もうこんな大きなかぼちゃを見たことないというような、もしかも、大きな菊の花のような感じの、あー、かぼちゃをお供えになりました。その、おばあちゃんが、そういう発表をなさっておられるときに、そのちょうど、ご理解、あー、堀尾先生が、あのー、うーん、そのお供えになったかぼちゃを頂くんです。ありがたいこっちゃあるなーと。例えばそういう中にあっても、それを責めようとも、おー、困ったこととも思わずに、こういただきこなせると言う事は、助かっておるという以外にはないですね。いうならば偉大なかぼちゃに、なりきる修行を本気でしておられる、ということでございます。そこであたくしは思うのですけれども、此の方の道はかさ一本で開ける道というのは、自分が助かって、そしてこの助かりを、人にも、ね、
そしてその方が言っておられましたが、「あたしゃ、本当に馬鹿じゃなかろうかと思うときことがあると」馬鹿んなる稽古をしよるから、自分が本当の馬鹿じゃなかろうかと、こう思うと、こういわれます。ばかんならにゃ、とてもそれは受けられません。まー、ね、いわゆる次の、対応それに対応していく、生き方というものが分かりません。もう自分の心は真っ暗になって沈んでいくばっかっりです。ね。ところが自分がほんとの馬鹿じゃなかじゃろかとおもうくらいにほんとのものになっていかれたおる証拠です。
そこでまー思うのですけれども、傘一本で開ける。そういう信心が、ほんとの物になってきたとき、ね。それから、うー、北野のせきさんが発表しておられましたが、娘さんは大変おかげの頂いた人です。大体は、若いときに。ところがこの頃は信心がでけません。お母さんの熱心な信心にもかかわらず、なかなか信心ができませんでしたが、最近、えー、美容師さんをしておられますから、あー、月曜日が休みなんです。だから月曜日だけはおまいりしようちうことになって、この前の月曜日ですから、その前の晩ですから、日曜の朝でしょう。御夢を頂かれた。その御夢と言うのが、「大宰府から、もうこんなかぼちゃは見たことがないという、大きなかぼちゃを買ってきた」御夢を頂いてとる。そして月曜にここにお参りをさせていただいた。そしてその日のご理解を頂いたら、あの先だって、ちょうどこの前の、月曜の、朝のご理解は、携帯用のかぼちゃのお知らせでしたね。あー、あれはどなたやったかと思いよったら、加藤さんの奥さんが頂いておられたお知らせでした。ねー。もうとにかく、今朝頂いてきた御夢をそのままに、しかも大宰府といやー、合楽の事でしょう。天神様のお里は合楽。という風にここでご理解いただきますから。合楽から、その偉大な大きなかぼちゃを、まー買ってきた御夢を頂いたら、ね、そういう心をおこして、「こりゃ月曜日、お休みのときだけ、これはおまいりせねば」と言う気持ちで参ってきたら、その携帯用のかぼちゃをもて、本気で馬鹿になろうあほになろうと思うておるけれども、ね、ちゃんとその忘れて家においてか、きとる。携帯用じゃないから。ねー。携帯用のかぼちゃを持ってと、頂いてもう、いよいよ神様が自分にかけておられる事を実感されて、ありがたい。帰りにバスの停留所まで行ったところが、みしらんもう人が、あー、合楽にはこれからお参りしよんなさるとならば、あのー、これを差し上げましょうちゅー言うて、私はもういらんからというて、かい、440円がと、もう、まー、残っておる回数券を、おー、う、早速こんなお働きを頂いてというて、まー娘が喜んだと言う話を、昨日せきさんが発表しておられました。ね。だからあたくしは今日の、傘一本で開ける道というのは、そういう本気で偉大な馬鹿と阿呆にならせていただこうということの精進だと思います。こういう気持ちになったら、こんな例えば、普通で言うなら、涙の出るように腹の立つようなことが、それが有難くなる。ね、それがうれしゅうなる。そういう心がいよいよ、どのような場合であっても、ほんとな物に育っていくということが、あたしゃ、あなたが助かると言う事になるのじゃないかと、こう思われます。ね。その助かりをです。みんなもこのようなおかげを頂かれたら、いよいよ家ン中は平和になるだろう。世の中が平和になっていくだろう。それが病むに病まれぬ思いで、人が助かることさえ出来れば、いうなら、なら、日参、教聴、心行、信行、家業の行にも、またいよい勢が出てくることになりましょう。もちろんそりゃー、助かると言う事には限りがありません。偉大なかぼちゃと言う事は、大きな、あー、ということは限りがありせん。ね。傘一本で助かると言う事は、ね、かさのお知らせは、ここでは安心と、こういわれる。ね。いうなら、その本気で馬鹿と阿呆になりきる、修行。それになりきれたときに、あなたは安心のおかげを頂いた。傘一本が頂けた。これから、もう開けるに開けるおかげになってくると言う実証をネ、めいめいが頂いて、そして、合楽示現活動に参画する。いよいよ人が助かる事さえ出来れば、神様の一番の願いはそこではなかろうかと思う。神願成就の日。13日。その神願とは、いよいよ今日のご理解でいうなら、いよいよそこの抜けた馬鹿と阿呆になる稽古をしてくれよということではないでしょうか。そこに自分の助かりを感ずる。ね、その助かりが、ね、人にも、伝えずにはおかれない。人が助かる事さえ出来ればの精神が、いよいよ身についてくる。ね。そういうおかげを神様の一番の願いとなさって、おられるのじゃないでしょうか。ね。いよいよ携帯用の、おー、かぼちゃを忘れんように、どんな場合であっても、それがありがたしで受けられるような、そこが抜けたような、馬鹿と阿呆にならせていただく稽古こそ、傘一本の、売る事のでけれる、ね、傘一本の頂けれる、安心のおかげも頂けれる、あたくしは手立てだというふに思います。どうぞ。